第六十三回

  

 あれは昭和四十八年の春ごろ、当時RKB勤務の帯谷瑛之介さんたちと東中洲人形小路の「玉喜」で飲んでいたとき、戦災で焼けた博多の街並みを懐かしむ古老たちの「博多を語る会」の話が出ました。

 これは私(当時五十歳)たちこそ勉強すべきだと言いましたら、さっそく有志が集まって「博多町人文化連盟」を発足させることになり、私に理事長になれというのです。

 「言い出した私が理事長はおかしか」と断りましたが「博多山笠方式で長老は相談役ですたい。西島さんが『取締』で全般を統御し、円滑な会の運営を見守ってやらっしゃりゃ、私たちが『赤てのごい』で実際に動きます」ということになり、とうとう理事長にさせられてしまいました。そして帯谷さんが事務局長です。

 参加者はたちまち百人ぐらいになりました。博多のもんばっかりと思っていましたら、なんのなんの博多に住んで博多が好き、博多の勉強をしたいという人たちで、関西、四国、東北出身の方もおられて「わてもかててもろてよろしゅうおますか」と・・・職業も多士済々です。

 この会の趣旨は「温故知新」で、博多の勉強をしながら消え行く文化を守り、博多を愛し、みんな仲良く、政治運動にならず、できれば「博多町人博物館」のようなものをつくりたいと皆さんに呼びかけました。

 結成して一年目、毎月の例会で博多の勉強をしているうちに、博多は港町で他国の人をいつでも抱包容するおおらかさがあり、他人を前に押し出して自分は陰の力となる人が多いことに気付き、そういう方々を表彰したらどうかという案が出ました。

 そこで昭和五十年、第一回博多町人文化勲章を「もろうてもらう」ことに決め、私が勲章のデザインをして、博多人形の西頭哲三郎さんに立体的に作ってもらい、リボンは博多織の鴛海南さんに寄付してもらうことになりました。

 さてこの勲章の第一回は「だれにやるとかいな」とみんなで相談していましたら「お前たちが人に勲章バやるなんて、勝手に大臣か知事になったような偉そうな顔バするな!」という電話がかかってきて反省しました。


櫛田神社境内で三味太鼓ではやしながら
「博多餅つき」(手前左、私)

(1993年 画家 著書より)


  

 

   
  


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