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「やあ!西島さん。今日は糸島の前原町で前田航研工業を見学してきて、面白いことを思いつきましたよ・・・」といつもの伴淳三郎さんのアイデア話です。 「あたしゃァねえ、あそこのグライダーに乗って、玄界灘から博多市の上空を飛んで地上を眺めると、向こうから博多山笠がオッショイオッショイ走って来る。すぐ前を博多どんたくが横切って行くという、夢のような映画を作ったらと、思いましたよ。タイトルは〈飛んだ飛んだよ、ねえ母ちゃん〉」 「ほう!そりゃ面白そうですなァ、グライダーの設計では日本一の前田健一先生一代記ということですねえ」 先生は若いころ、九州大学航空工学教室の聴講生として、佐藤博助教授の教えを受け、戦時中は前田航研工業という会社を福岡市内につくり、工場を前原町に持った方です。 耳納山山ろくでグライダーを操縦、滞空時間の日本記録を樹立されたほか、軍の依頼で新型軍用グライダーを研究、昭和十七年には西日本文化賞を受賞されています。戦後は福岡第一高校の航空機関科講師をされて、人力飛行機も製作された方です。 福岡市の空を飛ぶアイデアを聞いて半年ぐらいたったある日、伴淳さんが松竹映画の人とともにやって来て、今日はいよいよ佐賀県の目達原陸上自衛隊基地で人力飛行の実験をやるので一緒に行きましょうとのことです。連絡も準備もすっかり整っていた基地では、すぐ案内してくれました。 広い滑走路の向こうにグライダーが、待機しています。前田先生はリヤカーに乗り、生徒が引いています。天候は薄曇りです。前田先生が右手の人差し指にちょっとツバをつけられて風速を指先の勘で確かめ「よし!」と号令を出されると、合図の赤旗がサッと振り下ろされ、グライダーの中の競輪の先週がグイグイとペダルを踏みはじめ、胴体の先を縄で引っ張っていた生徒も一斉に走り始めました。
上がるか!上がれ!飛べ!みんな手に汗を握って見守っています。どんどん走りますが、まだ上がりません。約百メートルぐらい走ったとき「上がりました!飛びました!」三メートルぐらいは地上から離れたようです。飛べ!飛べ!と祈りましたが、そのままスウッと地上へ落ちてしまいました。みんな顔を合わせてガッカリ。しかし、あの瞬間の緊張感は実に心地良いものでした。結局、松竹映画にはならず、後日テレビの東芝日曜劇場で放映。重縁は小林桂樹に代わっていました。 ![]() (1993年 画家 著書より) |