第三十三回

  

 世の中、どんな悲しいことがあっても、自分だけが不幸と思えばキリがありません。ここで心機一転、仕事場を瓦町に移し、本格的にデザインの仕事に打ち込んでいくことにしました。

 この瓦町は、その昔、貝原益軒先生の住居があり、また現在の沖学園の前身である「そろばん学校」の創立者沖四郎先生の生家もあった所です。

 昔の市内電車の停留所名で言えば、博多駅前−矢倉門−瓦町−管弦町−住吉といった位置関係にあります。現在の博多消防署あたりが貸し切りの貨物の駅で、一般の貨物もここから馬車に積み替えていたため、付近には「日通」をはじめいろいろな運送店がありました。

 当時の運送店はトラックではなく、みんな馬車でしたから、瓦町付近の電柱にはいつも馬が二、三頭つながれています。したがって、馬の蹄鉄(ていてつ)を作るかじ屋さんもあって、フイゴを押し、真っ赤に焼けた蹄鉄をたたく火花や、蹄鉄を打ち付けるおじさんの姿を、いつも見ていました。

 馬の往来で道路にくぼみができるので、瓦町から矢倉門にかけての道は硬い丈夫な御影石でした。

 私の仕事場は日通の支店事務所を改造したもので、隣はまだ倉庫に使われていましたから、荷物が運ばれてくる度にドスンドスンと家が揺れて、絵筆をちょっと止めたりしたものです。でも間もなく馬車はトラックに代わり、瓦町は次第に変ぼうしていきました。

 淵上呉服店がデパートになって、「飾り山笠」も立つようになり、「岡流れ」という新しい山笠の組織もできて、私は「赤手拭(あかてのごい)」に選ばれました。山笠の台を担ぎ動かす屈強の若者がこの役で、博多っ子としては無上の栄誉です。

 瓦町からちょっと歩けば中州です。水車橋を渡った所に、今もありますが「ロシータ」というメキシコ料理の店ができて、あの付近は進駐軍が出入りするので危ないといわれていましたが、慣れてくるとかえって面白く、片言英語で話しかけたりして白人や黒人と一緒に騒いだものです。


(1993年 画家 著書より)


  

 

   
  


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