
復員局での検査が全部終わったところで、天皇陛下御下賜の湯飲み一杯の日本酒と菊の御紋入り羊羹(ようかん)、それに現金三百円をいただいて、私たちの軍隊もいよいよ解散です。あっけない結末でした。 終戦の年の九月には「海軍二等兵曹ヲ命ゼラレ」いわゆる「ポツダム下士官」が最後でした。 結局私の海軍生活は、南の果ての戦場まで後続の新兵が送られて来ることもなく、最後まで一番下級の水兵として、食事の用意から厠(かわや)番の連続でしたが、今ではこれが人生の修行道場であったと思っています。 大竹港で解散した私たちは、広島駅でそれぞれ西と東に別れ「無事家に帰れたら、お互い手紙を出そう」と、しっかり握手しましたが、出征した当時の住家があるのかどうか定かではありません。 超満員の復員列車の通路に新聞紙を敷いて、熊本の同年兵と座ったり立ったりしながら、乗り合わせたお客さんに博多のことを聞くと、昨年六月の空襲でほとんど焼けたというのです。 わが家は大丈夫だろうか?…博多駅前に降り立っても、瓦町方面を見るのが怖く、真っすぐに築港の方向へ歩いて行きました。 ぼんやり港を眺めて石堂川沿いに戻りかけた所に、靴の修理屋さんが座っていて「兵隊さん、靴の修繕ばしていきない」と声をかけられました。 「なんごとかァ!靴の半張りぐらいで何が三百円かァ!」と血相を変えて詰め寄りました。
(1993年 画家 著書より) |