第二十七回

  

大竹港の検疫所では、米軍からDDTの白い粉を全身に散布され、リュックをひっくり返して打ち振られましたが、ガサガサッと、隠していたスケッチの紙の音が聞こえるようで、肝を冷やしました。


無事検査が終わってから、私のビルマのスケッチを知っている上官や同年兵が「記念に分けてくれ」とせがむので、何点かを差し上げて、現在は五十枚が手元に残っています。

当時は、戦場のつれづれに気楽に描いたものですが、四十五年を経過した今日では貴重品になってしまいました。


この絵は、福岡シティ銀行本店で展覧会をしたり、雑誌「暮しの手帖」に紹介されて、全国のビルマ出征兵士のご家族から便りをいただいたりしました。


今、この平和な時代に生きていて、スケッチを見るとき、私にとって太平洋戦争とはいったい何であったのだろうかと考えます。

約二年八カ月の青春を、時の流れるままに従わざるを得なかっただけで、だれを恨むでもありません。むしろ戦場の明け暮れに、過ぎた子供のころをいつも思い出していたのが、現在童画を描くキッカケになったのだろうかと思ってみたりしています。

ビルマ戦線では、陸海軍合わせて十二万五千余人将兵が戦死されたといいます。私たちは、毎年同年兵会を続けていますが、昭和五十八年四月には、佐世保市の旧海軍墓地に、みんなの基金で「ビルマ方面海軍部隊戦没者慰霊塔」を建立、はからずも私がその慰霊塔の文字を書かせていただきました。現在では、池田孝君と久保行雄君、それに井手勇君の同年兵三人が主軸となって慰霊塔のお世話をしてくれています。

私は平成二年三月、シンガポールに戦後初めて旅行し、日本軍人軍属の墓にお参りできました。そしてまた六月には、福岡市の姉妹都市文化使節団の副団長として桑原市長に随行、マレーシアのイポー市を訪れましたが、現在元気に何ひとつ不自由なく生きていることが奇跡のように思えました。

佐世保旧海軍基地慰霊塔の前で

(1993年 画家 著書より)


  

 

   
  


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