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ムドン収容所では、英軍から厳しい労働を強いられるでもなく、ただ健康で復員船が来る日を待つだけのような毎日でした。 海軍大佐の司令は、シャバでは仏門にあった方で、部下の英霊にたむけるお経を教えてくれましたし、ある人は竹かごの作り方、ある将校は英語を教えてくれました。 「ハウ ドウ ユー ドウ」「マイ ネイム イズ ニシジマ」と発音しながら、地面に木片で英文字を書くのですが、難しい単語は書き留めておきたいと思っても、紙がありません。英軍支給の缶詰のレッテルをはがし、その裏に書いて勉強しました。 そんな毎日を過ごしているうちに、内地送還の知らせが、本当にありました。 「モールメンの港」から復員船に乗るのだそうです。 しかし乗船のとき、今まで描いてきたスケッチをもし没収されてはと、リュックの背中を二重に縫って、その中に入れることにしました。 果たしてこの船は、本当に祖国日本に帰るのだろうかという不安は消えません。 船に乗って五日目の朝、 「あっ!あれはブキテマ高地だ!シンガポールだ!」とだれかが叫び、これは本当に帰っているんだと、やっと信用するようになったのでした。船に乗って十三日目、対岸に南方のヤシ林ではなくて白砂青松が見えたとき、 「日本に着いたぞ!」 と、みんな手を取り合って躍り上がりました。船は間違いなく広島県大竹港に入港しました。たくさんの人たちが岸壁で手を振って迎えています。 恥ずかしいことに私たちの軍服はボロボロです。ズボンはひざの上の部分が早くすり切れるので、すその部分の布を切ってツギを当てていたものですから、いつの間にかショートパンツのようになっていました。 出迎えの人が「あなたたちは、今日までに復員した兵隊さんの中でいちばんボロ服だが、みなさん血色がよく元気そうでなによりです」と励ましてくれました。 とにもかくにも、夢にまで見た日本の土を踏むことができたのです。 ![]() (1993年 画家 著書より) |