第二十六回

  

ムドン収容所では、英軍から厳しい労働を強いられるでもなく、ただ健康で復員船が来る日を待つだけのような毎日でした。

海軍大佐の司令は、シャバでは仏門にあった方で、部下の英霊にたむけるお経を教えてくれましたし、ある人は竹かごの作り方、ある将校は英語を教えてくれました。

「ハウ ドウ ユー ドウ」「マイ ネイム イズ ニシジマ」と発音しながら、地面に木片で英文字を書くのですが、難しい単語は書き留めておきたいと思っても、紙がありません。英軍支給の缶詰のレッテルをはがし、その裏に書いて勉強しました。

そんな毎日を過ごしているうちに、内地送還の知らせが、本当にありました。

「モールメンの港」から復員船に乗るのだそうです。

しかし乗船のとき、今まで描いてきたスケッチをもし没収されてはと、リュックの背中を二重に縫って、その中に入れることにしました。

果たしてこの船は、本当に祖国日本に帰るのだろうかという不安は消えません。
船がモールメンの岸壁を離れる時、陸上にはまだ日本の兵隊がいっぱい手を振っていました。残留のほうが安全なのか、私たちのほうが助かるのかは分かりません。

船に乗って五日目の朝、

「あっ!あれはブキテマ高地だ!シンガポールだ!」とだれかが叫び、これは本当に帰っているんだと、やっと信用するようになったのでした。船に乗って十三日目、対岸に南方のヤシ林ではなくて白砂青松が見えたとき、

「日本に着いたぞ!」

と、みんな手を取り合って躍り上がりました。船は間違いなく広島県大竹港に入港しました。たくさんの人たちが岸壁で手を振って迎えています。

恥ずかしいことに私たちの軍服はボロボロです。ズボンはひざの上の部分が早くすり切れるので、すその部分の布を切ってツギを当てていたものですから、いつの間にかショートパンツのようになっていました。

出迎えの人が「あなたたちは、今日までに復員した兵隊さんの中でいちばんボロ服だが、みなさん血色がよく元気そうでなによりです」と励ましてくれました。

とにもかくにも、夢にまで見た日本の土を踏むことができたのです。

(1993年 画家 著書より)


   

 

 

   
  


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