第十七回

  

南方行きに決まった私たち百六十名は翌日、紺色の海軍一種軍装や国防色の陸戦隊服、さらに防暑服や白い作業服など一式を支給され、衣嚢(いのう)に入れ
て佐世保駅からさっそく出発です。

海軍というところは万事合理的にできていまして、転勤のときは、衣嚢という丈夫なケンパス布製の長い袋の中に衣類はすべて正方形に畳んで重ね、最後に帽子缶を入れて、その中に針やボタンなど小物を入れ、ヒョイと肩にかついで移動するのです。

「行き先は秘密」と厳命され、列車の窓は黒幕で覆われ、どこへ送られるのかわかりません。一緒に乗っている同年兵もまだ出会って一週間ですから、お互い
無言です。

やがて、「あれっ?これは長崎に行くのではないゾ?」列車の窓から外をのぞくと、どうも佐賀から鳥栖を過ぎて博多へ向かっている感じです。

「これは博多駅を通過するゾ!」

と気付きました。竹下を過ぎると列車は速度を落とし始めました。黒い幕のすき間から窓外をまじろぎもせずに見ていると、見慣れた瓦町の踏切が近付いてきます。

「見えた!私の家だ。二階の部屋の障子にだれかの影がうつった!」

もう我慢できません。
博多駅に停車したとき
「今、戦場へ行って来ます。伊三雄」と走り書きした紙片を手に窓から飛び降りました。ホームには見送りの男の人や国防婦人会の人たちがいっぱいでした。
「私は駅前の二○加旅館の息子です。父に渡してください!」
まったく知らない方に大急ぎで紙切れを渡すと列車に駆け戻りました。(戦後復員して知ったのですが、この紙切れは、父の手元に確かに届いていました。)

博多駅を離れて行く列車の中では、涙がこみあげて仕方がありませんでした。
関門海底トンネルを抜け広島で下車。

呉からいよいよ輸送船に乗り込み、下関沖で船団を組み、灯を消して、避難の仕方や、対空・対潜水艦訓練などを受けながら、やがて台湾の高雄港着。朝焼けの中に現地人が輸送船の下まで小さな舟をこぎ寄せて、バナナを売りに来ていました。

(1993年 画家 著書より)

 

    

  

  

   
  


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