第十四回

  

生まれて初めての会社勤めは、自営の職人とまったく違う生活様式です。

通勤に着てきた上着を脱ぐだけで、ワイシャツ姿の両腕に黒いカバーをはめ、靴も履いたまま。自分の机につくとまず、各新聞紙に目を通し(会社のためになるような記事は読まず)、依頼される原稿で構想を練り、絵をかき始めるのはせいぜい十時半ごろ。やがて昼休み。岩田屋のデパートで展覧会などを見て帰り、またちょっと仕事をしたら、もうそろそろ帰宅する準備、五時には退社という、徒弟時代には想像もできなかった殿様勤務でした。

貧乏性の私は時間がもったいなくてたまりません。せっかく長い間苦労して習得した技術が十分生かされていたいようで、腕がムズムズするのです。
「なにか描きたいー」
そこで家に帰ってから、優勝旗やバッジのデザインを内職に始めました。外から見れば、よく働く模範青年に見えたことでしょうが、時々は夜の時間を見つけて外出です。
国民服を背広に着替え、ちょっと伸びてきた髪にはポマードをつけ、東中州の映画街や、寿通りの華やかな新道を抜け、喫茶店によって「ポートラップ」と称した赤い、薄い酒のようなものを飲みながら、たばこは「金鵄(きんし)」(ゴールデンバット)から「光」に格上げしてふかしたものです。

世の中は戦争で物資不足になっていても、お金さえ高く出せば、何でもヤミで買えましたし、私にとっては申し訳ないくらいの豊かな暮らしでした。
蓄音機を買って灰田勝彦の「新雪」やディック・ミネの「小さな喫茶店」「アイルランドの村娘」、高峯三枝子の「湖畔の宿」を聴いたり、小畑実の「勘太郎月夜唄」を口ずさみながら、長谷川一夫の股旅姿の気分に酔ったものです。

この夢のような私の青春が、長く続くはずがありません。

(1993年 画家 著書より)

 

    

  

   
  


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