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徴兵検査まで無事図案の修行をすることができて、入門当時、父が先生と交わした契約通り祝い金百円を頂きましたが、もうそのころは物価が高騰して百円の値打ちはすっかり落ちていました。 それでも昭和十七年、二十歳の秋、私は晴れて一人前の図案職人になったのです。久しぶりのわが家で背をのばしていましたら、姉が 私が五年間の修行中にすぐ上の兄は病気で亡くなり、母もその一年後に他界し、父の苦しみは私の倍でもあったろうと思われますし、
さあ!さっそく翌日から出社です。会社は新聞広告の代理店で万町(よろずまち。現西鉄グランドホテル前)にあり、新調の国民服を着て出かけました。 スケッチブックを持って、絵を描きながらゆっくり会社に向かいますが、それでも早過ぎるので、会社に着くとストーブに火を入れたり、お茶を沸かしたりしていましたら、女子社員から そのころの私の仕事は国策キャンペーンのアイデアを考え、協賛商社を集めてもらうようなことや、東宝映画九州支社から出される封切り映画広告のレイアウトでした。 (1993年 画家 著書より) ![]() はじめての会社勤務(前列右)20歳 |