
![]() 今日はうれしい終業式。賞状や「通告表」をもらって両親に見せましたが、兄弟が多いためか、あまり丁寧には見てくれません。成績が上がっても「ほう‥‥良かったねェ」と言ってくれる程度でした。 そこで、私は両親に内緒で、子宝に恵まれなかった京都の伯母に通告表を送ったのです。するとクレヨンや「少年倶楽部」がご褒美に送られてきます。(この子供の悪知恵のおかげで、私は六十年前の小学校通知を今も保存することができています。) 私は図案がいつも「甲ノ上」でしたが、クレヨンは八色しかもちません。友達のは二十四色もあって、オレンジや紫色、ネズミ色などの中間色に加えて金色や銀色まであります。欲しくてたまらず、これも京都の伯母にそっと手紙を書いて送ってもらったりしたのです。 しかし、八色しかないクレヨンのおかげで、肌色や紫色や黄草色はどうしたら出すことができるかと、一年生の時に工夫したことが、後に図案屋の弟子になってから、先生に色の調合が上手だと褒められました。 また、クレヨンと一緒に送ってもらった「少年倶楽部」という雑誌は、当時の全国少年のあこがれで、私たち兄弟もときたま買ってもらっては回し読みしていたもので、「のらくろ二等兵」や「冒険ダン吉」の連載漫画。「はめ絵」といって、一定の形の枠の中に自由な絵を描いて投函すると、入選作品が誌上に掲載される読者参加のコンペがあり、せっせと投稿しました。新年号付録の「軍艦三笠」やニューヨークの「エンパイヤステヒートビルディング」の模型を作るのは最高の楽しみでした。 山中峰太郎の「敵中横断三百里」江戸川乱歩の「少年探偵団」‥‥連載小説にも熱中しましたが、なかでも私は高畠華宵や山口将吉郎の描く馬や武将の挿絵、椛島勝一の写真のような水彩画や繊細なペン画に魅了されました。 また、川上四郎という先生の田舎の風景や名もない草や花、ほっぺの赤い子供をかいた絵が、不思議に頭の中に残っていて、それが現在、私が童画を描くきっかけになったようです。後日談ですが、そのあこがれの先生を二十五年ぐらい前「雪国」の越後湯沢にお訪ねしてお会いすることができました。先生の机の上に「良寛さん」の描きかけの絵があるのを見て「童画の心」のようなものを教わった気がしました。 (1993年 画家 著書より) |