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私たち兄弟は、四人そろって二年間同じ御供所尋常小学校に通っていましたので「西島兄弟と学校でケンカはされんバイ」と言われていました。それは子供たち仲間だけでなく、先生の間でも評判のようでした。 三男の私が二年生の時に弟が新一年生。長男が四年生で次男が三年生なんです。母は弁当を作るだけでも大変だったことでしょう。弁当のおかずは、梅干し、焼きめんたいこ、塩くじら、塩さけ、こんこん(たくあん)‥‥など塩辛いものが普通でした。たまにカマボコや卵の厚焼きが入ったりしていると、大喜びしました。そのころの卵は貴重品で、日曜日に限りと生卵一個を二つに分けてしょうゆをいっぱい入れ、できるだけ卵の量が多くなるようにして食べたものです。 家が旅館ですから、子供たちも学校へ行く前に家事の手伝いをしなければなりません。自分たちの布団はもちろん畳んで片付ける。庭、玄関の掃除や水まき。神棚のご飯上げやサカキの水替え。仏壇のお茶替え。当番でご飯を炊いたり、消し炭を使って七輪の火を起こしたりしました。 お中元やお歳暮、お彼岸の「オハギもち」を配るのも子供たちの役目です。親類の住所を地図で教わり、市内電車を乗り継いで家を訪ねました。先方では、礼儀正しくあいさつし、もし「お駄賃」を渡されるような時は、急いで手を出してはいけないなどと厳しく言われたものです。 そのほか、学校に行く前早起きして博多名物の「オキウト売り」をしたこともあります。製造元から十五銭で二十枚を仕入れると、五銭が利益です。モロブタ(お正月の小もちを並べる木の箱)を弁当売りのように肩からひもでつり
アラレがオキウトの上に降りかかる朝、いつものコースを回っているのに売れず、親類の家の前で「オーキュウトワイ」と叫び、無理に買ってもらったことが、あとで父にバレてしかられたこともありました。
(1993年 画家 著書より) |