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博多二○加(にわか)が大好きだった父は、屋号も「二○加屋旅館」です。博多二○加というのは、今でこそ郷土芸能として保存され、博多二○加振興会もできていますが、当時は、ちょっと低俗に思われていたため、姉たちは「もう少し品のいい屋号に変えたら?」などと言っていたようです。 父は暇があると二○加好きの人たちと舞台に出たりしていましたが、シャベリは下手だったと思います。父のせりふはいつも「そうそう‥‥」とか「違わん、そのとおり‥‥」とか言うばっかりで、専ら相づちを打つ役でしたから、子供心にも「もっと良い役をやってもらいたいなぁ」と思ったものでした。 しかし、三味線はとても上手でした。「どんたく」の時期になると、知人のおばさんたちを引き連れ、私たち兄弟も四、五歳になると一緒に出されたものです。一年中お世話になっているような大店や知人の家を訪ね、 「ヨーター祝うたぁ!」 と大きな声で玄関に入ると、迎えた家では玄関に緋毛氈(ひもうせん)を敷き、自慢の屏風(びょうぶ)を立て、大皿には夏ミカンや銀杏(ぎんなん)の甘煮や蒲鉾(かまぼこ)が美しく盛られていて、次々に訪ねてくる「どんたく」の人たちに振る舞われます。 そこで博多ひとくち二○加を披露したりするのです。 「坊(ぼん)さん坊さん。そげな高かとこに上ってござったら、コキ落ちなざるバイ」
ではもう一つ 「今年の甘柿は百斤(きん)いくらな?」 パチパチパチ(拍手) 「どうした上手かいな、イサオさんは何歳になんしゃったな?」 (1993年 画家 著書より) |