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専売局のストライキでクビになった父は、仲間たちと相談のうえ、博多駅に近い下祇園町十八番地(通称矢倉門町)で商人宿を始めたようです。同士だった吉嗣正夫さん(後に正男になっている)は、父の駅前旅館開業と同じころ博多駅前で人力車屋を開かれたと聞いています。
私の想像ですが、父の旅館開業のきっかけは、博多駅に着いたお客さんを吉嗣さんたちが連れて来てやろうということだったのかもしれません。また、旅館なら子供が多くても食べ物だけは十分食べさせられるし、一石二鳥のアイデアだったと思います。
なお後日談ですが、吉嗣さんは昭和初年になって九州初の博多駅構内タクシーを始められ、それが現在の「はかたタクシー」へと発展したそうで、先見の明と経営手腕のある人物だったのでしょう。

昔の「商人宿」というのは、ほとんどが一泊二食付きで、お客さんは朝も夜も必ず宿で食事をしていました。だから私たちは、お客さんが手を付けなかったような「新鮮な刺身など」のおすそ分けにあずかったようです。
お客さんの「食い残し」ではありますが、子供のころから「うまいもの」に口を慣らされて育ったということになります。朝のみそ汁は、新鮮な刺身を取ったあとのコッパでダシをとるのが最高の味でしたし、父が作ったタイやカツオの「塩辛」は絶品でした。
「商人宿」には季節ごとに、いろいろな職業の人たちがやってきます。富山や大阪から薬の行商人、着物の洗い張りをする「張りもん板」、ワラで編んだ「ご飯ぬくめ」や「まな板」「洗濯板」、夏の「寝ござ(花ござ)」などを売り歩く商人。さまざまな荷物がお客さんより先に送り付けられてくるのです。
玄関先に入ったらすぐが広い土間になっており、その天井の大きな横柱(梁・はり)にツバメの巣があって六月ごろヒナが生まれ、ピイピイと大きな黄色い口を開けているのに親ツバメが出たり入ったりしてえさを運んでいたのが、なぜかハッキリ頭の中にあります。
入れ代わり立ち代わり季節ごとにやってくるお客さんが、冬の夜火鉢を囲みながら遠い国の話を、お国訛りで話してくれた情景が今も時々懐かしく思い出されます。
それにしても、一番上の姉は「お手伝いさん」の役をさせられたり、幼い妹や弟の世話でさぞかし苦労したろうと感謝しています。兄弟姉妹の多かった昔の長女に生まれると損ですねえ。
(1993年 画家 著書より)
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