第三回

  

私の姓名は「西島伊三雄」ですが「伊三雄」という名前は「伊三」とか「伊雄」とか、よく間違うのです。小学校の賞状にも、新聞や画集でも、はたまた税金の督促状さえも、ましてやダイレクトメールなどのあて名書きは間違いだらけです。日本寺の読み方が「三」の下は「朗」が多いし、イサオと読むには「三」ではなく「伊佐雄」となるのが一般的だからでしょう。
 また、よく「あなたの名前はペンネームですか?」と聞かれることがありますが、そんな、しゃれたもんじゃなくて正真正銘の本名です。ただし、親が題字に考えて付けてくれた名前ではなく、平田汲月(きゅうげつ)とうう博多仁○加(にわか)の脚本家の先生が付けてくださったそうです。
 わが家では、「もう子供はいらん」という時期に、私が生まれたそうです。そういえばいちばん上の姉から数えて確か七人目。男の子では三人目。加えて世の中は大正末期、不景気のどん底。家もいちばん苦しい時期で。「いらんもん」だった事情がよく分かります。おまけに頭が大きく、泣き声も悪く、顔も他の兄に比べてかわゆくない。首には胞衣(エナ)、あで巻きつけて生まれてきたそうですから‥‥。
「汲月つぁん、また生まれたやなぁ。男の子じゃが、何かヨカ名前バ付けちゃんなっせえ」と、一杯のコップ酒を出して頼んだら、
「亥(い)生まれの三番目の男の子じゃけん『伊三雄』にしときない」と命名してくれたそうです。
 まあ、とくかく私は生まれたときから「いらんもん」じゃったことは、ひがんで言うわけじゃありまっせんが間違いないようです。
 小学校の教科書はもちろん、洋服などもだいたい兄のからのお下がりで間に合っていました。ただお正月だけは兄弟そろって新しい服や下駄を買ってもらったことをよく覚えています。
 そんなふうでしたから、一方では意地っ張りのキカン坊で、一方では父や母にさえも「しっぽを振らないとかわいがってもらえん」というような気配りをするような子供であったようです。
 ですから仮に、純粋画家になろうとしても、自分が思うままの絵を勝手に描くということは結局できなかったろうと思います。やはり商品が売れるための作品を描いていくという、図案屋さんとしての典型的な体質や要素を背負って生まれてきたと思うのです。

(1993年 画家 著書より)

  

   
  


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