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今まで気がつきませんでしたが、私は他の人とはちょっと違う人生の道を歩いてきたようです。
そのひとつ目は、みなさんが苦労し、努力される入学試験と、自分の希望する会社への就職試験を受けないままであること。
ふたつ目は、昔の国民の義務であった「徴兵検査」を受けて海軍に引っ張られ、ビルマの最南端の島で終戦を迎え無事復員したこと。
三つ目は七十歳の現在も、上に姉三人と兄、下に弟と妹が健在で、そのほとんどが福岡近郊に住み、毎年「兄弟姉妹寄り」をしますが、先日の会で「もうお互い年も取ったし、ヨボヨボになっとるけん、子供たちに付いてきてもらわんでよかな?」と言いましたら「そげなことしたら大挙四十人に膨れ上がるし、それに孫が付いて来たら八十人は越すバイ(ゆっきる数えたことがありません)」ということになって大笑いするようなこと。
四つ目は、幸か不幸か私は博多で生まれて海軍の三年間をヌキにすれば、他の土地に住んだことがないこと。
五つ目は、一人前の職人になるための技術を習得する「日本の徒弟制度」を体験したことです。
子供の時から絵を描くことが大好きで、将来は画家になりたいという希望で、当時は「映画館の看板」を描く工房に弟子入りしたいと思っていましたが、父が探してきた市内の図案の先生の家に高等小学校を卒業した翌日から住み込むことになったのです。五年間無事辛抱すれば、絵の具一式と、紋付、袴(はかま)のほか現金百円がもらえ、自分の店を持つことができる、いわゆる「のれん分け」の契約です。
結局、その徒弟生活を終えてから今日まで五十年間図案一筋の人生と言うことになるます。
昔はデザイナーのことを「図案屋さん」と読んでいましたが、最近は「グラフィックデザイナー」というハイカラな名前になっていますので、現在の名刺には「九州グラフィックデザイン協会会長」などとしていますが、私の体質からいくと、どうも「博多の図案屋さん」がいちばん似合うとりようです。
(1993年 画家 著書より)

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